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航空ジャーナリスト協会
JAPAN AVIATION JOURNALIST ASSOCIATION
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新会長 挨拶

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作画:下田信夫   30周年にあたって

  会長  鷹尾 洋保
 航空ジャーナリスト協会は1980年3月に発足し、今年、創立30周年を迎えました。
 日本は第2次大戦の敗戦によりすべての航空関係の活動が禁止され、この禁止令は日本が独立を取り戻し、平和条約が発効した1952年まで続きました。航空再開にともない政府や航空関係者は航空関係の事業を再建すべく生産や運航に大変な努力を始め、早くも1950年代にはT-1ジェット練習機、YS-11旅客機が開発され、飛行を始めました。
 しかし、事業が進むことに全力を注ぎ、戦争中および戦後の航空機の開発・生産・運用などを体系的に記録する組織も刊行物もなく、航空関係の人々はそれらの散逸を憂慮し、その考えが結集され30名の会員の航空ジャーナリスト協会の発足になりました。それは本会の機関誌の創刊号に当時の会長・中口 博教授が設立の目的として第一にあげた「70年余に亘る我が国の航空史の生き字引といえる先輩方がご存命のうちに資料や情報を蒐集整理し、それらの散逸を防ぐ必要」という言葉によく表わされています。この考え方はその後も継承され、協会規約として明記されています。
 その後、我々はこの考えに基づき数々の活動をしてきました。最近行った「戦後航空再開前後の航空史」をまとめる活動もその一環として価値あるものでしょう。航空の世界は日進月歩です。最近の先端技術に基づいた旅客機や軍用機の出現には目を見張るものがあります。過去の歴史とともに最近の状況を独自の観点から記録し伝えるのも私たちの責任でしょう。
 30周年にあたり、設立当初の精神を忘れずに、そしてより広範囲により深く航空関係の情報を蒐集整理して後々のために残す仕事を続けたいと思います。会員諸兄の倍旧のご努力をお願いします。



  設立30周年を迎えて

  事務局30年  鈴木 幸雄


 昭和55年(1980年)3月に15人の発起人で発足した当協会もいつの間にか30周年を迎えることになった。設立当初はこの種の航空人の集まりがそんなに長く続くわけがない。一人一人の個性が強くて群れで何かをできるわけがないなどといわれていた。それが何とか低空飛行ながら現在まで続き、会員も現在175名ということで存続していることにまさに驚いている。そして、会員への反対給付として機関紙を発行してはということで始まった風゜天ニュースも今回が95号になる。年およそ4回の発行であるからこれもいつの間にかという感じである。編集発行作業には多くの会員の方々が協力くださり、故富重さん、藤石さん、久野さん、そして現在の柳沢さんを中心にいまや協会のメインともいえる大事な活動のひとつになっている。

 機関紙発行については当時毎月行われていた月例会で名前をどうしようかという話が話題になり、故西堀副会長が戦後朝日新聞で居場所のない航空部からいろいろな職場へ移動されているなかで、お前はフウテンでなくプウテン野郎だと言われたというエピソードをお話になり(風゜天第2号にご本人がその由来記をかいている)事務局を引き受けたばかりの小生がそれで行きましょうということを提案、題字のデザインを充電ということでアムステルダムへ住んでおられたおおば比呂志さんにお願いする手紙をお送りしました。タイトルのデザインは当時編集をお手伝いいただいた近藤さんがご自分の所属する日本写真家協会の会員向けの機関紙をサンプルで見せていただきそれを参考にしてデザインし上下に黒線をいれ、英字でPuten Newsといれてつくりました。このおおばさんの原画は残念ながら当時の印刷所が倒産し行方不明になってしまいました。

 モデルアート、日本航空機総集などでお世話になっていた野沢正さんに誘われて当時は一番の若手ということで発起人15人の中に入れられてしまい、約2年後には片桐さんから引き継いで事務局をやることになってしまった。風゜天第1号を最近読み返してみると、中口初代会長が当協会の目的、会員資格について書いておられる。振り返ってそれをここに載せてみることにしよう。その第一は我が国の航空史の生き字引といえる先輩方がご存命のうちに資料や情報を収集整理、それらの散逸を防ぐことだった。これについて当時は日本の航空70年であったが100年になってしまった現在振り返ってみると何も出来なかったな、というのが実感である。中口先生をはじめ会員の中に多くの貴重な生き字引が居られたのを(現在でも会員の那珂にたくさんおられる)我々の次世代に伝えていきたいという気持ちはあっても、それをまとめて整理し格納しておくスペースも資力もなく、ただただ時間が過ぎてしまったことは我々の力不足を思い知った感じである。しかし最近は航空再開前後の航空史を残そうということで、遅まきながら少しずつ作業が進んでいるのをみるとやっと少しは目的に近づいたかなと思う。しかし、これはまさに時間との戦いである。

 第2の目的は会員相互の親睦と航空に関する知見を広めること、そして第3は航空知識の普及および航空に関する関心の喚起ということであった。これについては年2回程度の見学会、さらに一般、会員向けの講演会の開催などで、これまた徐々にではあるが軌道に乗ってきたような気がしている。

 会員資格については航空ジャーナリスト協会という以上は既にジャーナリスティクな仕事をし、実績にある方々の集まりということでいろいろ当初から議論があったが、協会の趣旨・目的に賛同し活動を支援して下さる方々に広く門戸を開放しようということで、多くの方々に入会をしていただき日本の航空ジャーナリズムの一翼を担うことを目指してきた。協会にこれだけの方々が集まっていただけたのもこのおかげであったと思う。

 写真家の集まりである写真家協会などと同じように個々の会員がそれぞれの分野で活躍し、その肩書きとして協会員であると名乗ってくださることが大切であり、何か集団で事業をやったり行動するといった団体ではないが、91年以来毎年やっている展覧会、同じく浅草での大新年会、そして年に一度の定時総会で会員が顔を合わせるというのが何よりと考える。今年は日本の航空100年の年、協会も創立30年ということで他の団体、博物館などと一緒に何かやりたいということで、会員各位のアイデア、そしてご協力をぜひお願いしたいと思っております。